あの夏、確かにボクは薄毛に悩むようになった

なぜこれほどまで「栄養成分」に取りつかれてしまったかのようになってしまったのか。そのきっかけとなった出来事は、今でも鮮明に覚えている。そうあれは23年前の、高校2年の夏休みの出来事だった。

マイ青春メモリー、世界でいちばん苦い夏

高校2年生、世間では青春真っ盛り」「青春ど真ん中と認識されているときだ。

私の推測では、ある程度の大人に
「生まれてから今までで一番楽しかった時期はいつですか?」
「過去に戻れるとしたらいつがいいですか?」という愚問をしたら、

おそらく1位になると思われる時期だ。

そんなきらきら輝きをはなつ時期に、私の薄毛がはじまった・・・

高校2年生のボク

自意識過剰のボクは常に異性の目を気にするちっちゃなやつだった。
背もちっちゃかったが、何より器がちっちゃかった。

100均にも売っていない小さな小さなお皿みたいなものだ。

当時のボクは女子に話しかけることができないやつで、毎日通学途中の電車の中で


向こうからこいさそってこい声をかけてこい「ヘイ、カモン」と、頭の中で、連呼していた。

まるで念仏でも唱えているかのように・・・・

そうバリバリのさくらんぼ少年の称号をもっていたボクは
自身でその称号を取り除く勇気がなく、女子から奪いにきてもらうことを願っていたのだ。

試行錯誤、妄想の毎日

女子から称号を奪ってもらうため、何をすればいいか試行錯誤する毎日だった。

こんなあらゆる面で、ちっちゃなボクは、あることを実行した。

何をしたかって?

その当時のボクは、外見が変われば、向こうから女子が寄ってくるって考えた。

電車の中で、突然手紙を渡される。本屋で同時に同じに本に触れ、この後お茶でも行きませんかと誘ってくる

こんなべたな恋愛映画の展開に持ちこむができる、そう考えていたんだ。

具体的に何をすればいいか、悩む必要はまったくなかった。

当時は、わかりやすいお手本があったんだから・・

そう、本当にわかりやすいお手本、それは、

 

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キムタク

当時モテル男の代名詞といえば、キムタク。アンアン抱かれたい男ランキングは常に1位で、彼が出るドラマは高視聴率を連発し、彼がドラマで着る服は瞬く間に売り切れるという社会現象といっても過言ではないくらいモテまくっていた。

彼には、端正な顔立ちのほかにわかりやすいトレードマークがあった

ロン毛茶髪ピアスである。キムタクといえば、この3つのキーワードは必ずでてくるものだった。

町にはこの3種の神器をマネするブサイクどもがわんさかあふれた。顔立ちが決定的に違うのにだ。

ボクもそんな連中の一人であった。

キムタクのマネしたら女子はよってくる。こんな短絡的な考えをもってしまった。

そして、それを実行したのが、高2の夏休みだった。

決して主人公になれない通行人Cのボクが三種の神器に手を出した

ピアス

3種の神器の一つ「ピアス」をまずマネをした。大きな町に「ピアッサー」という自分で耳にピアスを空ける器具を買いにいき、その日のうちに躊躇なく開けた。

くっそ安いシルバーのリングをし、

「高校生でピアスしている俺ワイルドだろ~」

と見せびらかすかのように、威風堂々と町を徘徊していたのを今でも思い出す。

余談だが、小心もののボクは学校に行くときは、「透明ピアス」というピアスをしているのにピアスをしていない風にみえるプラスチックのものをつけて登校していた。

怖かったんだ先生に怒られるのが・・・

卒業するまでずっと「透明」のピアスをしていた。

ピアスは思ったより簡単にいけた。後は髪の毛の改良だ。ロン毛と茶髪。

ロン毛

実はボクの髪質はいわゆる天然パーマと呼ばれるものだった。
だからときおり、頭頂部からくねくねした髪が生えてきていた。どのくらいのレベルかでいうと抜けた毛が
頭の毛か下の毛が判別がつかない時があるほどであった。

当時から2か月に1度ほどはストレートパーマをかけるほどこの髪質を気にしていた。
純粋なストレートヘアでないボクにとって、綺麗なロン毛にすることは難しかった。
我慢して伸ばしても、ロッチのロン毛になるのが関の山だ。

ロン毛はあっさりあきらめることにした、残ったのは、茶髪だ。

茶髪

茶髪にすれば、キムタクのようになれる。女子が声をかけてくる。向こうからさくらんぼを食べにきてくれる。

茶髪は簡単、染めるものを頭につければ髪の毛が茶色になるだけ、手っ取り早くやったるぜ!黒い髪にただ茶色を塗るだけだ!!

こんな考えをしていた無知なボクは

特にどのメーカーがいいかなど下調べをするわけでもなく、
意気揚々とドラッグストアに駆け込んだ。

そして、カラーリング剤を手に取った。

終わりのはじまりこんな言葉がぴったりの瞬間だ。

記憶力のいいボクでも、
その時買ったカラーリング剤のメーカーがどこだった思い出せないほど、その後の人生を変える出来事だったんだ。

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